○古城公園について

古城公園の基礎知識
前田利長公が築いた高岡城の城跡加賀前田家二代の利長公は、天正13(1585)から13年間、二上山にあった守山城の城主でした。慶長3(1598)に利家公の後を継ぎ当主となり、同10(1605)には隠居して富山城に移りました。同14(1609)3月の大火により城を焼失し、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。高岡城は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近が縄張(設計)したと伝承されています。 利長公は、「詩経」の一節からこの地を「高岡」と名付け、同年9月に高岡城に入城しました。その5年後、利長公は死去し、元和元年(1615)、城は一国一城令により廃城となりましたが、三代利常公は、利長公の意をくみ、城郭の基本構造を残しました。また、まちにおいては鋳造産業の奨励、布・魚・塩などの物資の集散地とし、城下町から商工業のまちへと転換を図りました。当時城跡は、町民から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれ、現在では、高岡古城公園として市民の憩いの場となっています。

みどころ
自然いっぱい!3分の1が水濠高岡古城公園は、3つの水濠に囲まれており、その面積は全体の3分の1を占めます。加賀藩は、城の実質的な保全を図ったため、水濠はほとんど築城時のままに残されています。このため、高岡古城公園は、人工的な手が加えられていない自然公園であり、また豊かな水をたたえた水濠公園であることが特長です。 公園には、野趣味あふれた自然が息づき、サクラ、カエデ、スダジイ、ケヤキ、マツ、ヤブツバキなど、多くの樹木が繁っています。特に、市の指定花木であるさくらの名所として親しまれており、「さくら名所100選」に選ばれているほか、花見が楽しめる都市公園として、全国的にも高い評価を得ています。また、水濠は夏でも減水しない水濠で、平成3年から水濠浄化工事が行われました。今も、フナやコイなどが棲息しています。ハクチョウやカルガモも巣をつくり、水濠を泳ぐ姿は市民から愛されています。高岡古城公園は、日本有数の水濠公園であり、「甦る水100選」などにも選ばれています